歴史小説の傑作「天の華 地の風 私説三国志」 勝手に名場面集 その3

 やっと仕事が片付いて、今日はめずらしく解放感があります。こんな日に好きな小説のことを書ける。これ以上の喜びがあるでしょうか。

 しばらく間があいてしまった天華の名場面集を再開したいと思います。「名場面集その2」では、6巻の「街亭の戦い」までいったのでしたね。8巻には魏の騎馬兵の追撃からの、「わかりきったことを」があるのですが、魏延の解説の回で書きまくってしまったので、今日は8巻の終わりから紹介したいと思います。

 

6)夜明けの皆既日食 (8巻)

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 言わずもがなの名シーンですね。章のタイトルにもなっている「黄金の翼」。「このときの蝕は、ほんとうはもっと浅いものだったようです」と、江森さん自身が8巻の篇外録で解説しています。史実に添った想像(妄想)、の間に織り込まれたファンタジー

 この小説では、江森さんが「美しい」と思う情景(ご本人の言うところの「音と気配」)に向かって物語が突き進む、というのが何回か出てきますが、この日食もそんなゴールに当たる場面なのでしょう。

 おののきに静まりかえる漢中の街。暗黒の旭日。私はなんか、このシーンを読むと胸が苦しくなります。天の大きさに対して、いかに人間が無力であることか。「空の墓穴」が迫る光景は、この先の2人の運命を暗示しているようでもあります。

 日食の最初から最後まで魏延の目線で進んでいくのですが、その目に映る孔明は、とても不安そうで、弱くて、無力です。孔明が何を感じたのかは書かれていません。「この心ひえる光景を前に、かれが、なにをいいたいと思い、なにに感じ、痛みをおぼえたか。魏延は自分ではそれを理解したと思ったが、口には出さなかった」。

 この小説のこういう「言い切らない余韻」がとてもいい。そして、日食が終わって、ほっとした孔明の目を見て、魏延は何も言わず身体を引き寄せます。優しさとは、気づくことなのだな、とこの本を読んで知りました。優しさとはきっと、気づいて寄り添うことです。この場面では、彼の優しさが読んでいる私の心にも流れ込んでくるような気がします。

 

7)周瑜の墓参り(9巻)

 建興11年(西暦233年)正月、孔明は娘の朝薫と姜維を連れて、お忍びで隣国の呉に行きます。目的は孫権の説得でした。お兄ちゃん(てことになってるけど本当はおじさん)の諸葛瑾がお出迎え。孔明が、周瑜とそっくりの姜維をそばに置いていること、そして娘の朝薫と姜維を添わせようとしているのを見て、胸に感じるものがあったのでしょう。孔明周瑜の墓参りへと連れ出します。

 このお兄ちゃん、1巻から登場してここまで生き残っている数少ないキャラですが、私は好きです。

「周囲をはばかる恋をし、それがために誰かを犠牲にした。兄の誠実さは、その罪の意識が、背骨に通っているのだ」(9巻)と書かれています。

 すごくざっくり言うと、諸葛瑾は自分の兄(孔明の父親)が死んだあとに、その奥さん(章二娘、絶世の美人、孔明のおばさん)と禁断の恋に落ちて逃避行、そのために孔明と妹と弟はいじわるな親戚の家に置き去りにされてひどい目にあった、というか孔明はその家の主人に手込めにされた…ということです。「三国志正史」には 諸葛瑾について「実母が死ぬと継母(章二娘と思われ)に孝養を尽くした」とあるので、ここから江森さんが想像したのでしょう。この想像(妄想)の詳細さが作品に深いリアリティを与えています。「罪の意識が、背骨に通っている」という表現もいいねえ。詳細な妄想と高い表現力、そして徹底した美の追求。

 呉へのおしのび旅行では、周瑜をめぐって、孔明姜維がやりとりする場面も出てくるのですが、この場面の孔明がすごく美しいんだな。周瑜との間柄を「ふつうでない縁でつながっている。敵手どうしでありながら、だれよりも相手を理解している」と指摘されて、照れています。DV束縛不倫男の周瑜さま、20年たって、すっかり美化されている模様。孔明周瑜を理解していたと思いますが、周瑜孔明を理解していたのかな。周瑜の愛情は、頭で考えるというより、直感的、本能的なもののように感じますが。

 

 話がそれましたが、瑾兄ちゃんに誘われて馬を走らせ、孔明は川の上流へ。森に囲まれたひんやりとした泉、風にざわめく木々。「ながく、おまえを待っておられたのだ」。その言葉で孔明はそこが周瑜の墓と知り、兄ちゃんの粋な計らいに感謝しつつ、周家の墓所に向かいます。馬をつないであずまやで数時間待つ瑾兄ちゃん。孔明周瑜とのなれそめから、その結末までを知っているただ1人の人物です。脳裏には、孔明を待ちわびて、いきなり詩を吟じ始めた柴桑城の周瑜(当時35歳)が浮かんでいることでしょう。孔明は墓前で、周瑜とどんな対話をしているのでしょうか。

 と、思ったら、戻ってきた孔明は、ほつれ髪の美しい表情で、「は~なんか別の男のこと考えてましたわ。最近全然会ってないんでね~」「なんかね、どうしてもその男と別れる気にならないんですわ」「これってなんですかね。愛してるってことですかね」(意訳)。お兄ちゃん絶句。読んでた私も絶句。え、ここ、話の流れ的に、周瑜との思い出を話すシーンじゃないんですか…? なんでお兄ちゃん相手に突然ノロける?

 しかも、その考えている中身を知ったら、真面目なお兄ちゃんは、卒倒するどころじゃすまなかったでしょう。書いてないですが、前後から推察するに99%エッチな内容です。「魏延はなんでこの前の夜、あんな×××なんか使ったのだろう」「あんなひどいことされても、どうして別れる気がおきないんだろう」「あ~なんか会いたくなってきた。早く甘えたいよ~」的な。

 孔明はずっと忙しくて、考えごとする時間がなかったんですね。だから久しぶりに1人になって、ずっと気になっていたことに思いをはせた…って、なぜそれが、元彼の墓の前? フォローできませんww。もし死後の世界にこの内容が伝わっているとしたら…いくらなんでも周瑜さまがかわいそう。あ、でも番外編で、地獄で孔明と再開したときに、この時のことをひと言も話してなかったので、周瑜さまのなかでは、ショックすぎて、すべて消去されているのでしょう。

 呆然として話を聞いていたお兄ちゃんが「それは誰のことだ!」と怒ります。お兄ちゃんの怒りはもっともです。相手を知ったらさらに怒ることでしょう。でもなんだかほっとしているようにも見えます。

 いずれにしても、孔明が2人の男のことを比べるのは、本編ではここだけなので、貴重。孔明は、魏延については理解できないままに、周瑜のことは、実はすっかり客観視できていたのだとわかります。孔明の空気読まない感じと、お兄ちゃんの真面目さとでほんわかした気持ちになる、私の好きな場面です。