愛を知り、愛に救われ、愛によって滅びる 

 前回更新してから1か月も経ってしまいました。きっとこの小説が好きでアクセスしてくれている人がいるのに、申し訳ないです。めげずに進みたいと思います。

 この1ヶ月間、忙しくてブログを書けない間、つくづく、天華のどこが最大の魅力、オリジナリティなんだろうか、と考えていたのですが、「愛によって魂が救われる」というテーマなら、JUNEに限らず、割とよくあるかな、と思うんですね。たとえば、10代のころにはまった吉田秋生さんの「バナナフィッシュ」は、主人公のキャラがこの天華と比較的似ているように思えるのですが(子供のころに性的虐待を受けた超美形の天才)、アッシュは英二との友情によって不信と孤独から救われます。そして、最近読んだ完成度が高い少女漫画「椿町ロンリープラネット」も、さみしい暁先生に優しい心を取り戻させ、家族と和解させるのは、同居の女子高生、ふみちゃんの愛でした。

 というわけで、子どものころ大人に蹂躙されて誰も信じられない孔明が、魏延の愛情によって人の心を取り戻す、というところまでは名作ならよくある、として、この小説の本当にすごいところは、「愛を知り、愛に救われ、愛によって滅びる」。これだと思う。

 なんかね、そうやって読み返すと本当に徹底している。(ちなみにバナナフィッシュのアッシュは、最大の敵を倒したあとに、どうでもいいキャラにいきなり殺されて死にます。英二を守るため、とかではないのね)。天華を最初に読んだときに 姜維 が4××を見て殺意を持つ経緯が妙に下ネタで、この小説の文体の品格と合わない気がして、ずっと違和感があったんですよ。だって、 姜維は最初から赤眉の刺客として孔明を殺すために送りこまれているわけだから、わざわざ過激な場面を見せて、それをもって孔明を殺す理由にする必要ないんじゃないかなって。

 そして、魏延を愛してからの孔明のあからさまな変化。為政者としての彼の取り柄だった公平性や猜疑心、人の心を読み通す能力は愛に溺れたことですっかり失われ、楊儀劉琰から反感を買い、姜維の殺意にも気づかず、最終的にこの人たちに毒薬を飲まされることになります。極めつけは、最終章の朱蘭が離反する経緯。なんでここまでやるの…と思っていましたが…

 それもこれもすべて、「ラストシーンの孔明は、魏延と二人きり、魏延の腕の中で、愛によって滅びなければならない」という作者の強い意志だったんだな。権力者ゆえに部下や皇帝に恨みを買って死ぬとか、赤眉に暗殺されるとか、魏に謀殺されるとか、まして病死するとかそんな死に方じゃ全然ダメで、とにかく、「愛によって死ななければならない」。

 愛を知らずに育った孔明が、深く愛されて心が満たされ、ただ愛されるだけでなく、自分も初めて人を愛することができるようになりました。パチパチパチ…普通ならこれで終わりそうなもんですが、なんとなんと、その瞬間から孔明の破滅が始まってしまうという。あまりにも非情すぎる。こんな江森さんは、率直に言って鬼だと思う。幸せな場面がほとんど1ページくらいしか続いてないし…

 これに気づいてからつくづく思いましたね。ああ、江森備という作家さんは、読者のために小説を書いているんじゃなくて、小説によって、自分が思う「美」というものを追求しているなって。江森さんの中では、愛によって滅びるのが美しいんです。こうなったらもう、読者はただ、美の旗を高々と掲げる江森さんについていくしかないじゃない。

 だから、6巻からの後半は、美しくもとても悲しい。二人が理解し合い、愛し合うようになる過程は、そのまま孔明の破滅につながっているから。

 なんかもう今日は久しぶりにブログを書けるうれしさで語りまくり。あれ、何かおかしなこと言ってます? 僕、大丈夫?