【直虎23話感想】「不憫(=理想の深い愛)」の究極形を見よ

 日曜の夜、私は一つの理想の愛が完成するのをテレビの前で見ました。そう、これだよ!これ!これこそ、少女マンガとか小説とかドラマとかで私が追い求めてきた理想の男性キャラクターの究極形の一つじゃないかあああ。公共の電波で、こんな一部の人のためのドラマを堂々とやっていいのかよくわかりません。ただ私は改めてこのドラマに猛烈に感謝しています。
 政次が、近藤に引き渡すふりをして龍雲丸を陰で逃がしたとき、不憫、そう呼ぶモノの正体がやっと分かりました。これはね、理想の愛の形なんですよ。政次はとっても頭がいいから、盗賊を逃がしたら、井伊に戻ってくるってわかってる。そしたら、「家臣に」ってなるのも想定してる。それでも、直虎ちゃんのために、逃がすんです。
 自分の愛する女性が他の男を愛したらどうするか。男同士でけんかする?身をひいて去る?彼女を縛る?答えはノンノン。少女マンガにおける理想の愛では、とにかく男性はね、嫉妬してもいいけど彼女を縛るのはNG。彼女の選択を尊重して、幸せを願うんです。そして、去ってはいけない。去った途端に脇役確定です。彼女が誰を愛そうが、あくまでもそばにいて、彼女を守り、愛し続ける。嫉妬で苦しくても、つらくても、彼女の笑顔を守ろうとするんです。そして、その愛が深いほど、彼は悲しみを背負う。その悲しそうな表情を見ると、不憫、不憫と言いつつ、私の心は彼の愛の深さを知って満たされるんです。
 それが頭が切れて、品が良くて、きれいな男なら言うことない。じゃなくて、そういう男じゃなくちゃ、「いい人」で終わっちゃって、話が成立しないんだよ!

 愛とは、相手の人格を尊重すること。相手の選択を大切にすること。それを突き詰めていくと、最終的には相手の恋愛も尊重しないといけなくなっちゃうんですよね。だから、愛の究極形は…自分から離れていく彼女を受け入れることです。切なかったですねえ。直虎ちゃんに真剣に相談されて。好きになってはもらえないけど、信頼されて。こうなっちゃうともう、スゥイートサレンダー、観念するしかない。お手上げですよね。「あの者たちのために、井伊を使うことがないように(つまり、振り回されないように)」って言うのが精一杯。何に負けるって、自分の中の愛に負けるんです。


 龍雲丸はこのために登場させられたんだなあ、きっと、たぶん、おそらく。このドラマにおける政次の愛を際立たせるための、魅力的な当て馬として。

 
 ちなみに、少女マンガでは、理想の愛を追求する、こんな人たちがいます。

 ・アンドレ=ベルバラ
 ・倣立人(ファン・リーレン)=花咲ける青少年
 ・万里小路有功=大奥
 (ちょっと違うけど、藤沢周平の「蟬しぐれ」とかも…)

 いま気づいたけど、ヒロインはみんな「姫」的な人たちですね…

 

 ちなみに、身を引いて去っていった人は

 ・早坂さん=東京タラレバ娘

 ・ジェローデル=ベルバラ

  
◆次は「誠実」を試される

 そしてそして、この理想を完成させるためには、もう一つの大事な要素があります。それは男性キャラを愛する他の女性です!そう、つまり、なっちゃんだ。
 政次はなあ、なっちゃんに優しくしてもいいけど、けしてなびいてはいかん。ここでなびいたら、ただのリアルな男の人になって、今までの努力が台無しなんだよ。今は分別をわきまえているなっちゃんから誘惑されて、それを優しく振り払えたとき…そのときがおそらくこの理想の愛が完成するときだあ。
 って、この妄想、だれか受け止めてくれませんかねえ。
 「直虎」って、脚本家の人の理想の男(=政次)を追求しているようにしか見えない時があるんです。そこが大好きなんですけどね。