【直虎25話感想】心で結びついた愛はどこにいく。直虎と政次「魂の囲碁」

 やばいです。今回「たまらん要素」が満載すぎて、微動だにせずテレビの前に座り込んでしまいました。愛が画面からあふれ出ている…。あまりの満足感に、もう、政次がいつ死んじゃうとか、片思いのまま終わるのかとか、昨日までの最大の関心事がどっかにいってしまいました。もうそれはいい。仕方ない。それよりも、退場までのわずかな間に、もっともっと直虎を愛して愛して、彼女の心と私たちの目に、その愛の深さを焼き付けてくれ~、と絶叫。

 どうしてこんなに心に刺さってくるんだろ。こう毎回究極の愛を見せつけられては、こっちの身が持たないんですけど。脚本家の人、大河ドラマという国民的な枠をつかって、自分の理想の男(政次)を描こうとしているんじゃないか、と常々疑惑をもっていましたが(そしてその理想の男が自分の理想とぴったりすぎてドハマり)、今回、またも確信しました。このドラマは、歴史を利用して、この人が思う「愛とは何か」を追求している。 

 「直虎」で描かれている「理想の愛」の構成要件

1、どんな状況でも揺るがず、守り続ける

2、見返りを求めない

3、相手の悲しみは自分の悲しみ(20話 第三の女)

4、相手の心を尊重する(23話 盗賊は二度 仏を盗む)

5、深い信頼(23話 盗賊は二度 仏を盗む)

6、心がつながってる ←NEW!

7、ほかの女性は優しく拒絶 ←NEW!

8、触れたい、抱きしめたいと思う気持ち ←NEW!

 

(八つのうち三つが今回の初出だから、画面から愛があふれちゃうのも納得)

 

 愛ではないもの

1、煩悩

2、不誠実、スケコマシ(20話 第三の女)

 

囲碁で描かれる心の結びつき 

 ごく一般の男女関係ならば、愛とは、結婚、子ども、家族、別れ…というふうにつながっていく。何度も書き古されたことです。しかし、直虎も政次も独身で子どもはいません。ここまで心がつながってしまったら、私(視聴者)の政次ロスもやばいけど、直虎の方が深刻なんじゃないか、と思っていたのですが、今回三つの囲碁シーンで気づきました。愛が心の深いつながりだとしたら、死んでしまったあとも、それを残していく

ことはできるんだと。 

 キーワードは、囲碁です。

 

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 まず今回、囲碁は感情が出る、碁盤の上での石のやりとりによって、相手の気持ちもこちらの気持ちも伝わるという、囲碁を通した心のやりとりが最初に描かれています。

 この場面、気賀に材木を売りに行った直虎ちゃんが、気賀の様子を報告すると、政次は、「あの者たちとは、お会いになったのですか?」と龍雲丸に会ったかどうか探りを入れてきます。「よろず請負というものを始めたらしゅうてな。あの者たちなりに前に進んでおるようじゃ」。直後に直虎はまずい手を打って動揺が政次に伝わります。政次は容赦なく黒石を置いて、直虎の白い石を減らし、直虎は心のうちが知れてバツが悪そう。その様子を見て、政次は今川の情報として「気賀に城を築くという話が出ています。井伊ではなく気賀の話、余計な首を突っ込まないように」と釘をさします。

 

 

■過去最高に萌えた「魂の囲碁

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 圧巻は、離れた場所にいる二人が、お互いの手を想像しながら、「そなたなら、どうする?」「どう動く?」と心のうちで語りあう「魂の囲碁。(これを描くために、井伊家に謀反の疑いがかかるようにして、今川の家臣・関口を政次の家に泊まらせた、という設定にしたとしか思えない)やばい、これは、過去最高に萌える。精神で深く結びつくと、最後はこうなるんだという究極の愛の形。直虎は、男として龍雲丸の自由さ、色気にひかれながらも、自分でも気づかないうちに、しっかりと心は政次に結びついている。政次の片思いと思ってきましたが、彼の愛は「信頼」という形で、直虎の心の深い部分に届いている。最後は二人の棋譜がぴたりと重なり、見てる私は萌え死。

 一方、今回は政次の側が、抱きついてきたなっちゃんに対し「殿は落ち着いておられた。きっと切り抜けられる」と話し、領主としてもその判断を信頼していることが分かります。一生分の勇気を振り絞ったとみられるなっちゃんですが、今回は特にタイミングが悪かった。政次は、殿の電波を心で受信中だったから。いつにもまして、直虎のことしか見えていません。この機会に触れて自分の体温を伝えてしまおうという人妻のささやかな下心でしたが、逆に二人の絆を見せつけられて撃沈。政次の背中の後ろで手をふるわせるなっちゃんが、なんだか人ごとと思えない。切ない…。

 

■政次の死後、直虎と盤上で向かい合うのは…

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 で、今回実はあとあとに効いてくると感じたのは、政次と直虎の囲碁ではなくて、政次と虎松(のちの井伊直政)の場面なんですね。「直政の政は政次の政」、とネット上にあったのを、実はけっこう本当なんじゃないかと思っているのですが、いずれにしても、政次が死んでしまったあと、直虎と盤上で向かい合うのは政次から囲碁の手ほどきを受けた、直政ではないかと。自分を最も愛してくれた男を失っても、直虎は本当の孤独にはならない。直親の血を受け継ぎ、政次から囲碁を学んだ直政が、盤上で向かい合ってくれるから。そして、これは単なる直虎の慰めに終わるわけではなく、何回も一人で囲碁をする様子が出てきた松平元康(つまり徳川家康です)のもとでの、直政の出世につながるのでは。

 

 愛された記憶というのは、愛した記憶よりも人を支えると思うんですね。だから、政次が死んでしまったあとでも、彼の愛情が直虎を支えていくのは間違いない。だけどさらに囲碁という形で、半身を失った直虎の支えになって、ひいては井伊家の支えにもなっていけばいいなあ、と。

 今はそんなことを考えています。