歴史小説の傑作「天の華 地の風 私説三国志」 勝手に名場面集 その1

 前回ブログを更新してから、また読み返していました。3回目ですよ3回目。1回目は勢いに乗ってざーっと読んじゃって、最後までいって、ぼーっとしてから、わからないことがいっぱいあることに気づき、2回目は孔明の感情に沿って読み返し、ほほーっとなり、3回目は、ついに陳寿の「三国志正史」を手元に、歴史的な事実と比較しながら精読するという。ふむふむ、なるほど、正史のこの部分がこう書かれているのね、みたいな。どんだけはまっているんだ!
 それにしても読み返すごとに新しいことに気づく小説です。すごいね。この感想を周りの人と分かち合いたいけど、きっと誰も読んでないし、怖くて死んでも職場で言い出せないからこの場にぶつけます!
 「魂の救済編」に行く前に、天華の名場面を「その1」「その2」「その3」と3回に分けてまとめることにしました。完全に私セレクション。これを読んでいる人が、おいおい、違うだろ!と思ったらすみません。時系列でいきます。

 

1)春雪の柴桑城 孔明の涙 (1巻)

 1巻の最後の場面ですね。自ら殺した呉の武将・周瑜公瑾の葬儀の場、お城の回廊から春の雪が降る様子を見ていた孔明は、ふと、死んだはずの周瑜の気配を感じます。
 「もう居ないのだ。あの声も、姿も、もう、無いのだ」。孔明の氷のような頰に流れる熱い涙。そう、孔明は自分が思っている以上に周瑜を愛していたのです。この時に初めて自分で気づく。読んでる私も、ああ、孔明周瑜が好きだったんだなあ、と胸がぐっとなりました。ばかだね、孔明は。今さら気づいて泣くなんて。
 自分の手で殺した恋人を思って、さみしく雪の降る庭を見つめて泣く美人…降り積もる雪の音まで聞こえてきそうな美しい場面です。

 

 2)妖彗星 (4巻)

 飛んで4巻。私の大好きな場面です。この時の孔明は蜀の軍師で政敵・法正との権力争いの真っ最中。漢中の攻略(定軍山の戦い)にのぞむ劉備の命令で、魏延成都にいる孔明を迎えに来るところから始まります。夜明けの成都の空に一直線にはしるのは彗星――。孔明魏延の関係も、ここから大きく動いていく予感。
 漢中に向かう道すがら、ずっと乱暴で残酷だった魏延が、初めて孔明を優しく抱きます。萌えるね~、冷たかった男が急に優しくなる。どうやら彼は、弟にさえ心を許せない孔明の孤独に気づいたよう。でも孔明には理由がさっぱりわかりません。その後のやりとりがまた、すごくいいんだな。
 うわ言で周瑜の名前をつぶやいていることを指摘された孔明は、「あれは特別なのだ。周瑜は」「私の心に食い入ってきたのは、かれだけだ」とわざと魏延を嫉妬させるようなことを言います。心の中で舌を出す孔明。ところが…
 魏延は、まったく動揺しないどころか、法正に言われて優しくしたというようなことを言い出し、逆に孔明の方が「うそ!? あいつにしゃべっちゃったの!?」と取り乱してしまうのです。
 誤解と分かって涙声で抱きつくのは孔明の方です。「嬲ったな。許さぬ」と泣いちゃう。かわいい! おそらく、魏延もかわいいと思ったことでしょう。書いてないけど。
 この二人の関係というのはずっとこんな感じで描かれています。人の心を操ることに長けているはずの孔明ですが、唯一の例外が魏延孔明が仕掛けたこと、想定したことに対して、想像もしないような返事をしてくる。つまり、コントロール不能。そして逆に孔明の方が素の自分をさらけ出す羽目になる。それが何ともかわいいし、魏延もまた、その孔明をかわいいと思っていることが伝わってきて、ひゃーっとなります。


 
 3)おぞましや孔明、身のほどを知れ! (4巻)

 出ました。本作のナンバー1パワーワード。4巻の終盤「月やあらぬ」とタイトルがつけられた回です。皇帝になったばかりの劉備の口から出るまさかの言葉。すべてのLGBTを敵にまわす暴言です。ひ、ひどい。孔明はさ、劉備のために山の庵を出て、周瑜まで殺したというのに…
 最初、美しい月を見ながら静かに語り合っていた劉備孔明ですが、関羽の仇討ちに執念を燃やす劉備は、それをいさめる孔明を冷たい目で見下ろします。「おまえごときに弄ばれる劉備玄徳ではない」「周瑜を捨て、わが許に戻りしはなんのためか。つめたき野心のためか。けがれたる欲望のためか」って…。ああ、劉備孔明周瑜の間に起きたことを知っていたんですね。いつからこんな目で孔明を見ていたんでしょうか。憧れの人からこの言葉を吐かれた孔明の衝撃やいかに…。

 タイトルの「月やあらぬ」とは「古今和歌集」にも収録された「伊勢物語」の恋の歌「月やあらぬ 春や昔の春ならぬ わが身ひとつはもとの身にして」からきているようです。「(一緒に見上げた)月はもう、昔の月ではないのか」「自分だけは昔のままなのに」。ここに至って孔明劉備の決裂は決定的になります。こんな場面ですら、美しく描く江森さんは本当に素晴らしいと私は思うぞ。
 で、これを言われたあと、孔明は、自分から漢中の魏延のところに、何百㌔も一人で馬に乗って走ってゆくのでした。

 ちなみに、本作のパワーワードには他に「その麗容の下、まさしくけだもの」(5巻)もあります。

(「勝手に名場面集 その2」に続く)