【直虎26話感想】政次の不憫、新ステージに突入…

 「魂の囲碁」を頂点とした幸福は、たった2週間しか持たなかったようです。龍雲丸再登場とともに、ふと気づくと、政次が新たな不憫のステージに突入している…その名は「埋めがたい寂しさ」。主従の信頼はいまや完全なものになったけど、直虎をどうしてもつかまえることができない。つかまえた、と思ってもすり抜けてしまう。「殿はいつも、面倒な方にばかり行かれる」。直虎が気賀に向かって飛び出していってしまった後、にゃんけい和尚と語り合う背中が切ないねえ。

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■気づかない二人

 前回25話は愛があふれすぎて最高に萌えましたが、考えてみれば二人はお互いに同じ時間に離れた場所で囲碁通信していたことは知りません。「冷たかろう」にしても、政次の手が直虎の頰に触れたのは高熱の状態のときで、直虎の記憶には残らない
 政次はいつも直虎を注意深く観察していて、龍雲丸がらみでは特に心の変化を見逃さないようにしていますが、その本音の表情が見えるのは視聴者だけ。言葉も裏腹で、家臣や同志、幼なじみ以上の気持ちは直虎に伝わりません。

「とにかく、あやつらのために井伊を危うきにさらすのは、もうおやめくださいませ」

今回、井戸端で直虎を怒鳴りつけていましたが、政次のいう「井伊」とは、直虎自身のこと。せっかく謀反の疑いをかわしたのに、また危険にさらされることをとっても心配しているのです。それがうまく伝わらないんだなあ。不器用ってことなんだろうけど、見てるこっちは、あー!もどかしい~!。まあ、この辺、いくらなんでも直虎がちょっと鈍感すぎるとは思いますが。

 

■政次と龍雲丸の「情と理」
 

 龍雲丸はただの魅力的な当て馬かと思ってきましたが、再び登場し、おいしいところをかっさらっていくし、なんだかかっこよく見えてくるし、政次と龍雲丸には物語の中で、直虎の成長のため、それぞれ与えられた役割があるように思えてきました。
 
 今まで見てきただけでも

 ・政次:「殿が今、守らねばならぬものはなんだ?」

  孫子、上に立つ者の倫理、戦国を生き抜く戦略

  → 戦わずして勝つ
 
 ・龍雲丸:「領主なんて泥棒じゃねえか」

  身分を問わず助け合う関係、近づくことで解けるわだかまり

  → 奪い合わずとも生きられる世を作り出す

 

 それぞれが別の形で、城主としての直虎の方向性に決定的な影響を与えています。

 

 また、城主としての導く方向性も政次は理論、龍雲丸は情、すなわち政次は精神の支え、龍雲丸は情欲(煩悩)の対象、となっているようにも見えるのです。

 

 今回、気賀に向けて出かけていこうとする直虎の打ち掛けの裾を、政次が「ドン」と踏みつける場面がありました。紺色のうちかけ(殿としての理性=政次)を脱ぎ捨てたことで、直虎の赤い着物(情熱=龍雲丸)がむき出しになるのが、何とも象徴的です。

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■政次の決定的な不憫

 どうしてこのように役割を分けるのか、現時点ではよく分かりませんが、この設定だと、控えめに言っても、政次の片思いは決定的です。そして、女性として直虎を愛する限り、彼には埋めがたい寂しさが残ってしまう。追いかけて、追いかけても、近づくほど見えない~♪ チャゲアスかよ!って感じです。

 誰からも信じてもらえなかったという、これまでの本当の意味での不憫はもうないと思うのですが、但馬はより深い寂しさ、切なさの沼に入ってしまったのか。でもさ、もうすぐ死ななきゃいけない運命なのに、なんでこうなるんだっけ?結局、電波で囲碁できるほど魂が結びついているのに、ほかの男の人に煩悩するっていう直虎のキャラ設定が、今更ながら私自身、よく理解できていないのかもしれません。