直虎第20話「第三の女」感想 爽快感、そしてすでに「政次ロス」

 直虎20話、5分前からテレビの前にスタンバイして見ました。いやあ、面白かったですね。直虎としの、亡き直親をめぐるかつての恋敵同士が、「このスケコマシが~」と井戸に向かって直親をののしるところ。「大河」という枠組みでは想像もしなかった「爽快感」がありました。さわやかイケメンの三浦春馬さんが、まさか昨年流行した「ゲス男」だったとはねえ。感動的な別れの場面も、今見るとコントのように思えてくるからたいした物です。それに、直虎が、しのの子ども(虎松)も、「第三の女」の子ども(高瀬)も、自分の子どもみたいに大事にするのがいいですね。自分とは何の血のつながりもない、むしろ憎い恋敵たちの子どもなのに。
 今回、隠し子があらわれて、離ればなれだった10年間、直親は自分だけを愛していたわけではないことがわかり、つらかったけど、直虎は初恋から卒業できたんじゃないですかね。尼である直虎には許されないことですが、普通のドラマなら、次の恋の始まりの予感がします。

 

■時代劇を超えた丁寧な心理描写に共感

 どうして自分はこのドラマに引かれるのか、よく考えるのですが、それは、人物の心の描写が丁寧に描かれているから、時代劇の枠を超えて、登場人物に共感しやすいのだと思います。一般的な大河ドラマのイメージより、朝の連ドラに近いような…
 今回、謎の娘「高瀬」が、直親の隠し子だと決定的になったのは、ぞうきんがけをしていた高瀬の鼻歌でした。「彼がよく弾いていたギターの曲、彼女がそのメロディーを歌ってた」とかって、浮気の確信として、現代でもありそうですよね。匂いとか、歌とかって言葉よりも本能に響いてくるので、それを聴いた直虎が、「第三の女」の存在に確信を持った、というのは、現代の私でもよく理解できます。

 

■すでに政次ロス こんな男に愛されてみたい

 そしてもちろん、今回も高橋一生さんの政次は光っていました。私の中では主役です。悲しい最期を思うと、今からすでに政次ロスになってます。
 高瀬の鼻歌を聴いて、ざっくりと傷つく直虎、そしてとなりの政次の表情。直親が死んで以降、ポーカーフェイスの彼が、初めてはっきりとみせた心の柔らかい部分でした。
 政次が直虎を守り続けるのは、彼女の心が傷つくのを見るのが怖いからだと思います。直虎が傷つくことが、彼の心を一番傷つける。そしてやっぱり今回、ざっくりと傷ついた直虎を見て、彼の心も悲しみでいっぱいに。
 高橋さんはNHKの雑誌の特集インタビューの中で、「直親亡き後、政次は、直虎を自分の半身として愛してるのだと思います」と語っています。そういわれると、どんな局面でも、献身的に直虎を守ろうとする彼の誠実さがよく理解できる気がします。「彼女の笑顔こそ、自分の喜び」。現実にはこんな男の人はいないとわかっていますが、こんな男の人がずっとそばにいて守ってくれて、自分を丸ごと受け入れて愛してくれたらなあ、というのは、私だけでなく、多くの女性の願い(妄想)なのではないでしょうか。
 だからせめてドラマの中では、直虎に自分を重ねて、ずっとそんな二人の姿を見ていたい。今回の囲碁の場面、至福でした。政次がずっと直虎のそばにいて、精神的に二人が強く結ばれて…この幸せがいつまでも続けばいいのになあ。毎週日曜日の夜にそれが見れたら、翌日の月曜日から、また1週間頑張れそうな気がするのです。